はじめに:なぜ今、私たちは「濡れ縁」に惹かれるのか

「濡れ縁(ぬれえん)」という言葉を聞いて、あなたの脳裏にはどのような情景が浮かぶでしょうか。
夕暮れ時のひぐらしの声、蚊取り線香の懐かしい香り。 線香花火の儚い光が落ちる瞬間、あるいは風呂上がりに団扇を片手に感じる夜風の涼しさ。 そこには、単なる建物の「部材」や「床」としての意味を超えた、日本人が本能的に安らぎを感じる「原風景」があるように思います。
それは、かつての日本家屋が当たり前に持っていた、自然と共生するための知恵の結晶でした。しかし、高度経済成長期を経て、住宅が工業化・効率化される過程で、いつしかその存在は「無駄なもの」「贅沢なもの」として追いやられていきました。
建築家として多くの住宅設計に携わる中で、近年、この「濡れ縁」への注目が静かに、しかし確実に高まっているのを肌で感じます。 現代の住宅は、高気密・高断熱化が進み、一年中Tシャツで過ごせるほど快適な「温熱環境」を手に入れました。しかし、その一方で、どこか閉鎖的になりがちで、季節感や外の気配を感じにくい「シェルター」のような場所になってしまっている側面も否定できません。
そこで失われつつある「外とのつながり」や「季節との対話」を取り戻すための装置として、今再び、濡れ縁が見直されているのです。
本記事では、言葉の定義や歴史的背景から始まり、ウッドデッキや縁側との建築的な違い、そして設計者が考える「豊かな暮らしを生む機能」としての濡れ縁の可能性を、余すところなくお伝えします。 素材の選び方から、美しく見せるための寸法計画、そして法的な扱いに至るまで。これから家づくりを考える方、あるいは今の暮らしに閉塞感を感じている方へ。 これは、ただの床を作る話ではありません。あなたの人生の「居場所」を作り、家族の記憶を紡ぐための、本格的な設計論です。
第1章濡れ縁・縁側・ウッドデッキの違いと歴史的背景

本題に入る前に、まずは言葉の定義を明確にしておきましょう。建築の打ち合わせにおいて、言葉のイメージのズレは設計のズレに直結します。また、それぞれの成り立ちを知ることで、なぜ日本に「濡れ縁」が必要なのかがより深く理解できるはずです。
1. 濡れ縁(ぬれえん)とは
文字通り、「雨に濡れる縁側」を指します。 建物の外壁の外側に設けられた、板敷きの通路や腰掛けスペースのことです。最大の特徴は、「雨戸やガラス戸の外側」にあるという点です。
風雨にさらされることを前提とした作りになっており、板と板の間には雨水を落とすための「隙間(すきま)」が設けられています。これを「簀子(すのこ)張り」と呼びます。 古来、濡れ縁は、庭と建物を繋ぐ緩衝地帯として、また、来客をカジュアルにもてなす接客空間として機能してきました。
2. 縁側(えんがわ)とは
厳密には、建物の「内側」にある通路を指します。 サッシや雨戸の内側にあり、部屋と部屋、あるいは部屋と庭をつなぐ廊下のような役割を果たします。日中は建具を開け放って開放的に使い、夜や悪天候時は建具を閉めて室内空間として守られます。
歴史を紐解けば、寝殿造りや書院造りの時代から、縁側は移動空間であると同時に、儀式や行事の場としても使われてきました。 現代の住宅用語では、濡れ縁も含めて広義に「縁側」と呼ぶこともありますが、建築計画学的には「建具(雨線)の内か外か」が決定的な違いとなります。
3. ウッドデッキとは
西洋由来のテラス状の木製ステージです。 リビングと庭をつなぐという目的は濡れ縁と同じですが、その形状と「思想」に大きな違いがあります。
濡れ縁が建物に沿って「線状」に伸び、庭を愛でるための「観覧席」のような役割を持つのに対し、ウッドデッキは「面状」に広がる傾向があります。 テーブルセットを置いて食事をしたり、プールを広げたりと、室内での活動をそのまま外に持ち出す「アウトドアリビング」としての用途が主となります。欧米のパーティー文化やBBQ文化を背景に持つスタイルと言えるでしょう。
なぜ今、「濡れ縁」なのか
今回私たちがテーマにするのは、この中でも「濡れ縁」です。 なぜ、広大なウッドデッキではなく、内なる縁側でもなく、「濡れ縁」なのか。
日本の住宅事情を鑑みたとき、広い庭を確保できるケースは稀です。隣地との境界が迫り、プライバシーの確保も難しい。そんな都市型の敷地において、大きく張り出すウッドデッキは、かえって使いにくい「デッドスペース」になりかねません。
対して濡れ縁は、奥行きが浅く(60cm〜90cm程度)、建物の軒下に寄り添うように存在します。この慎ましさこそが、日本の狭小な敷地や気候風土にマッチし、現代の生活に無理なく「外」を取り込むための賢い解となるのです。
第2章リビングが「狭い」と感じ、庭が「死んでいる」現代住宅の悩み

性能の代償としての閉塞感
現代の住宅は、素晴らしい進化を遂げました。 「高気密・高断熱」は、もはや標準仕様です。断熱性能(UA値)や気密性能(C値)を競い合い、魔法瓶のような家を作ることで、エネルギー効率の良い、一年中快適な室内環境が実現しています。
しかし、その代償として失ったものがあります。それは「外部との連続性」です。 性能を確保するために、窓は小さく、数は少なくなりがちです。壁は厚くなり、家はまるで堅牢なシェルターのようになりました。
「LDKは20畳確保しました。天井高も2.5mあります」 図面上では十分な広さがあるはずなのに、実際に住んでみると、なぜか狭く感じる。壁に囲まれた圧迫感がある。 そんな悩みをご相談いただくことが増えています。これは、視線が室内で止まってしまい、外への「抜け」がないことが原因です。
「死んでいる庭」問題
また、庭のあり方にも問題があります。 「せっかく一戸建てを建てるのだから」と、なんとなく確保した庭。 しかし、リビングの掃き出し窓を開けると、そこには50cm〜60cmほどの段差(基礎の立ち上がり分)があります。この段差は、心理的にも物理的にも大きなハードルです。
- サンダルを履いて、よっこらしょと降りなければならない。
- 降りた先は土で、靴が汚れる。
- 夏は雑草が生い茂り、蚊が出る。
こうして、庭に出るのが億劫になり、気付けばカーテンを閉めっぱなしの「開かずの窓」になっていないでしょうか。あるいは、「管理が大変だから」と全面コンクリートで固めてしまい、照り返しのきつい、駐車場兼用の無機質なスペースになってはいないでしょうか。
リビングから眺めるだけの庭は、生活の一部ではありません。使うことのない庭は、心理的には「存在しない」のと同じです。 結果として、生活は室内のLDKだけで完結し、家のポテンシャル(敷地全体での広さ)を半分も活かせていない――これが、多くの現代住宅が抱える「空間の貧困」という深刻な問題です。
メンテナンスへの過剰な不安
さらに、外部空間を作ることを躊躇させる最大の要因として、「メンテナンスへの不安」があります。
「ウッドデッキを作ったけれど、数年で腐ってシロアリが湧いたという話を聞いた」 「毎年の塗装(塗り替え)なんて、共働きで忙しくてやっていられない」 「ささくれが刺さって子供が怪我をした」
こうした失敗談が耳に入り、「それなら最初から作らない方がマシだ」「リスクは排除したい」と、豊かな暮らしの可能性を自ら切り捨ててしまうケースが後を絶ちません。 しかし、それは「適切な素材選び」と「正しい設計」を知らないがゆえの誤解も多いのです。
第3章そのままだと、家はただの「箱」になってしまう
窓の外がつながらない恐怖
少し厳しい言い方になるかもしれませんが、外部とのつながりを持たない家は、ただの大きな「箱」です。
想像してみてください。 休日の朝、カーテンを開けても、見えるのは隣家の無愛想な壁や、手入れされていない地面だけ。 窓を開ける理由がないから、一年中エアコンに頼り切りになり、季節の風の匂いを感じることもない。 子供たちは「外で遊びなさい」と言われても、土の上は汚れるし、座る場所もないから、結局リビングのソファでタブレット端末を見つめ続けるしかない。
これでは、マンション暮らしと変わりありません。いえ、高層階で眺望が約束されたマンションの方が、視覚的な広がりがある分、マシかもしれません。 高い土地代を払い、固定資産税を払い、メンテナンスコストを負ってまで一戸建てを建てる意味が、そこにあるのでしょうか。
「原風景」を持たない子供たち
私が建築家として最も危惧するのは、子供たちの情緒的な成長への影響です。 「家」とは、単に雨風をしのぐ場所ではなく、家族の記憶を刻む器です。
夏のアスファルトの照り返しの熱さではなく、夕立の後の土の匂い。 冷房の機械的な風ではなく、庭木を揺らして入ってくる自然の風。 冬の陽だまりの暖かさと、日陰の寒さのコントラスト。 そうした五感を通じた体験こそが、子供たちの感性を育み、大人になった時に帰るべき心の場所=「原風景」となります。
庭との接点を断ち切るということは、こうした「原風景」を子供たちから奪うことに他なりません。 「手入れは楽がいい」。その気持ちは痛いほど分かります。現代人は忙しいのです。 しかし、その利便性と引き換えに、私たちはもっと大切な「暮らしの豊かさ」や「思い出の彩り」を捨ててしまってはいないでしょうか。
「メンテナンスは嫌だ、でも味気ない生活も嫌だ」 「機能的な家がいい、でも情緒も欲しい」 このジレンマの中にこそ、私たちが向き合うべき課題があります。 そして、その解決策として建築家が提案するのが、現代の技術と知恵を掛け合わせた「新しい濡れ縁」なのです。
第4章建築的解決策:「濡れ縁」という機能美
ここからは、なぜ「濡れ縁」が現代の住宅における最適解となり得るのか、機能面、情緒面、技術面の多角的な視点から解説します。
① 空間の拡張機能:リビングが外へ滲み出す

建築設計において、空間の広さを決定づけるのは「床面積(㎡数)」ではありません。「視線の抜け」と「床の連続性」です。
リビングの掃き出し窓の先に、濡れ縁がある状態を想像してください。 この時、設計上の重要なポイントは、「室内のフローリングレベルと濡れ縁の高さを揃える(または極力近づける)」ことです。
人間の脳は、床が続いていると認識した瞬間、ガラス戸を超えて外部までを「ひとつの部屋」として認識します。 つまり、奥行き90cmの濡れ縁があるだけで、リビングが視覚的に90cm外へ広がったような錯覚を生むのです。もしリビングの幅が3.6mあれば、90cm×3.6m=約3.24㎡(約2畳)分の空間が、視覚的にプラスされる計算になります。
これを建築用語で「中間領域(ちゅうかんりょういき)」と呼びます。 完全に外でもなく、中でもない曖昧な場所。このクッションがあることで、心理的な壁がなくなり、リビングの空気が外へと滲み出していきます。 20畳のリビングが、感覚的には24畳、30畳の広がりに感じられる。これが濡れ縁のマジックであり、狭小住宅でこそ採用すべきテクニックです。
② 「家の原風景」をつくる装置(情緒的価値)
濡れ縁は、家族のアクティビティを誘発する「ステージ」です。そこには、土の上でも室内でもない、濡れ縁だからこそ生まれるドラマがあります。
子供の記憶に残るシーン:
- 夏のスイカ: かぶりついて果汁が垂れても、種を庭に飛ばしても、濡れ縁なら怒られません。そのままホースで水を流せば掃除は終わりです。この「汚してもいい安心感」が、子供の自由な振る舞いを引き出します。
- 線香花火: コンクリートの上でやる花火と、濡れ縁に腰掛けて足をぶらつかせながら見る、足元のパチパチとした光では、風情が全く違います。終わったらバケツの水に「ジュッ」とつける。その一連の動作と匂いが、夏の記憶として深く刻まれます。
- 即席のBBQベンチ: 庭でBBQをする際、わざわざアウトドアチェアを人数分広げなくても、濡れ縁があればそこが最高のベンチになります。準備と片付けの手間が減るだけで、庭での食事のハードルはぐっと下がります。
大人のための安らぎ:
- 夕涼み: 風呂上がりにビール片手に濡れ縁へ。室内のソファではなく、夜風で火照った体を冷ます時間は、何物にも代えがたい贅沢です。
- 月見と雪見: 季節の移ろいを肌で感じるセンサーとして、濡れ縁は機能します。冬、雪が積もった庭を、暖かい格好をして濡れ縁から眺める。そんな静謐な時間もまた、豊かな暮らしの一部です。
これらは、室内では絶対に味わえない体験です。かといって、完全に地面(庭)に降りて行うには準備が面倒です。「靴を履かずに一歩出られる」という濡れ縁の気軽さが、こうした豊かな時間を「イベント」ではなく「日常」のものにしてくれます。
③ コミュニティ・ハブとしての機能
かつての日本家屋において、縁側は「地域へのインターフェイス」でした。現代においても、その機能は形を変えて有効です。
近所の方が回覧板を持ってきたり、実家の両親が野菜を届けてくれたりした時。 わざわざ玄関に入れて、靴を脱いでもらって、リビングにお通ししてお茶を出す……というのは、迎える側も訪問する側も気を遣いますし、部屋が散らかっていればストレスにもなります。 かといって、玄関先での立ち話だけでは味気ないし、落ち着かない。
そんな時、濡れ縁があれば「ちょっと座っていきなよ」と気軽に声をかけられます。 靴は履いたまま、腰掛けて少し話す。お茶一杯とお煎餅で十分です。 この「程よい距離感」が、現代の希薄になりがちなコミュニケーションを円滑にします。 敷地条件によりますが、道路に対して緩やかに開かれた濡れ縁は、街の防犯や子供たちの見守りといった「生きた場所」としての役割も果たします。
④ 現代の技術で解決する「メンテナンス性」

さて、最大の問題である「腐食」と「メンテナンス」についてです。ここには、建築家として明確な解決策、つまり「マテリアル(素材)の選定」について詳述します。
かつての濡れ縁は、杉やヒノキなどの天然木で作られ、数年おきに防腐剤(キシラデコールなど)を塗る必要がありました。それを怠れば腐り、シロアリの温床となり、踏み抜いて怪我をする危険な場所となります。 しかし、現在は材料技術が飛躍的に進化しています。
選択肢A:ハードウッド(天然木派へ)
「どうしても本物の木の質感、経年変化を楽しみたい」という方には、ウリン、イペ、セランガンバツといった「ハードウッド(高耐久木材)」を提案します。 これらは東南アジアや南米原産の非常に硬く密度の高い木材で、「鉄の木(アイアンウッド)」とも呼ばれます。ポリフェノールを多く含み、薬剤処理なしでも数十年腐らないと言われる最強の天然木です。
- メリット: 本物の質感、重厚感。腐りにくい。
- デメリット: 紫外線により数ヶ月〜1年でシルバーグレーに変色する(これを味と捉えるか劣化と捉えるか)。非常に硬いため加工が難しく、施工費が高い。また、ササクレが出ることがあり、裸足で歩くには注意が必要。初期に赤褐色の樹液(アク)が出て、土間コンクリートを汚すことがある。
選択肢B:人工木・樹脂木(機能派・子育て世代へ推奨)
私が今、多くの施主様、特に子育て世代に強くおすすめしているのが「人工木(じんこうもく)」です。 木粉と樹脂(ポリプロピレンなどのプラスチック)を混ぜ合わせて成形した工業製品です。LIXIL、YKK AP、三協アルミなどの大手メーカーから高品質な製品が出ています。
- 腐らない: 湿気を吸わず、シロアリの食害も受けません。理論上、半永久的に構造的な強度を保ちます。
- メンテナンスフリー: 毎年の塗装は一切不要。汚れたらデッキブラシで水洗いするだけ。コーヒーをこぼしてもシミになりにくい。
- 安全: 割れ、反り、ササクレが発生しないため、小さなお子様が裸足で走り回っても怪我をする心配がありません。
- 美観の維持: 昔の人工木は「プラスチック感」が強かったですが、最新の製品は表面にサンディング加工や多色成形を施し、本物の木の木目や陰影をリアルに再現しています。プロでも遠目には見分けがつかないレベルです。
「人工物は風情がない」というのは過去の話です。 「綺麗だから、使いたくなる」「手入れがいらないから、ストレスがない」。 結果として、濡れ縁が常に家族の居場所であり続けること。これこそが、設計者として最も重視すべき「機能美」だと考えます。
第5章「濡れ縁のある暮らし」を彩る3つの要素
濡れ縁は単体では成立しません。周囲の環境とセットで考えることで、その魅力は何倍にも膨れ上がります。ここでは、建築家が設計時に必ず考える「植栽」「照明」「家具」の3要素について解説します。
1. 植栽(Green):シンボルツリーとの関係
濡れ縁の目の前には、必ず1本でいいので木を植えてください。 これを「濡れ縁の相棒」と呼びます。
- 落葉樹(アオダモ、モミジなど)のすすめ: 夏は葉が生い茂り、濡れ縁に木陰を落として涼しい風を呼び込みます。 冬は葉を落とし、暖かい陽だまりを濡れ縁に届けます。 この自然の温度調整機能(パッシブデザイン)を活用しない手はありません。
- 目隠しの工夫: 道路からの視線が気になる場合は、常緑樹(ソヨゴ、シマトネリコなど)を目隠しとして配置しますが、壁のように密植するのではなく、風が抜けるように植えるのがポイントです。
2. 照明(Lighting):ナイトガーデンの演出
昼だけでなく、夜の濡れ縁も楽しんでほしい。そのためには照明計画が不可欠です。
- 室内からの見え方: 濡れ縁そのものを照らすのではなく、「濡れ縁の先の庭木」をアッパーライトで照らしてください。 すると、夜の暗闇の中に木々が浮かび上がり、奥行きが生まれます。室内からその景色を見ると、窓ガラスへの映り込み(鏡現象)が軽減され、庭と一体になったような広がりを感じられます。
- 足元のあかり: 濡れ縁の下にバーライトを仕込み、間接照明として床面をふんわり照らすのも効果的です。濡れ縁が浮いているような浮遊感を演出し、高級旅館のような雰囲気になります。
3. 家具(Furniture):外へ持ち出すアイテム
濡れ縁を「見る場所」から「過ごす場所」に変えるための小道具です。
- 小さなちゃぶ台やスツール: コーヒーカップやビールを置くための、小さなサイドテーブルがあるだけで、滞在時間は長くなります。
- ラグや座布団: 気候の良い日は、お気に入りのラグを敷いてみてください。一気に「外のリビング」へと変化します。
- 蚊取り線香ホルダー: 機能性だけでなく、煙のゆらぎを楽しむための美しいデザインのものを選びましょう。
第6章これから「永く愛せる家」を建てたい方への設計ガイド

濡れ縁は、ホームセンターでキットを買ってきて、日曜大工でポンと置けば良いというものではありません。それでは単なる「台」であり、建物と調和しません。 永く愛せる中間領域にするためには、建築的な設計の工夫(寸法と納まり)が不可欠です。
1. 「軒(のき)」とのセット設計
これは最も重要な鉄則です。 「濡れ縁の上には、必ず深い軒(屋根)をかけること」。
深い軒がかかっていない濡れ縁は、夏は直射日光でフライパンのように熱くなり、雨の日はずぶ濡れになります。それでは結局、年に数回しか使われません。 軒の出は、最低でも90cm、できれば1.2m〜1.5m欲しいところです。 深い軒があれば、夏の高い日差しを遮りつつ、冬の低い日差しは室内の奥まで取り込むことができます。 また、雨の日でも窓を開けて、濡れ縁で雨音をBGMに読書をする。そんな豊かな時間が生まれます。
2. 寸法計画(モジュール)
- 奥行き: 一般的には60cm(2尺)〜90cm(3尺)です。 通り抜けるだけなら60cmで十分ですが、大人二人が並んで座って語らうなら、最低でも75cm〜90cmをおすすめします。これなら、膝を抱えて座ったり、少し物を置いたりする余裕が生まれます。
- 高さ: 室内の床高(FL)に合わせるのが基本ですが、サッシの水切り(枠)との関係で、数センチ下がるのが一般的です。 また、地面から濡れ縁までの高さが40cmを超える場合は、庭へ降りるためのステップ(踏み台)を設けるか、犬走り(いぬばしり)の高さを調整して、昇り降りをスムーズにする配慮が必要です。
3. アイレベル(目線)の操作
濡れ縁に座った時の目線の高さは、立っている時より約60cm下がります。 この「座った時の視線」で何が見えるかを計算します。
- 隣家のトイレの窓が見えてしまわないか?
- 道路を通る人と目が合ってしまわないか?
板塀の高さを1.8mにするのか、1.5mにするのか。あるいは足元の植栽で隠すのか。 座った姿勢でのシミュレーションを行うことで、濡れ縁は誰にも邪魔されない「特等席」になります。
ターゲットへのメッセージ
この記事は、建売住宅やマンションのような「与えられた箱」での暮らしに満足できず、自分たちのライフスタイルを大切に丁寧に紡ぎたいと考えている方へ向けて書いています。 効率やコストパフォーマンスも大切ですが、それ以上に「心地よさ」や「家族の時間」に投資したい。そう考えるあなたにとって、濡れ縁は最高の投資対効果をもたらすはずです。 1坪にも満たないスペースですが、そこから得られる精神的な豊かさは計り知れません。
第7章まずは「濡れ縁のある暮らし」を想像してみる
最後に、これから家づくりを進めるあなたへ、具体的なアクションを提案します。
「何LDK」から離れてみる
家づくりの要望をまとめる時、つい「4LDKで、リビングは20畳で…」と数字やスペックから入ってしまいがちです。 一度、その数字を忘れてみてください。そして、具体的なシーン(場面)を想像してください。
- 「休日の朝、淹れたてのコーヒーをどこで飲みたいですか?」
- 「お風呂上がり、どこで火照った体を涼みたいですか?」
- 「子供たちと、家でどんな遊びをしたいですか?」
- 「歳をとって夫婦二人になった時、どこで日向ぼっこをしたいですか?」
もし、その想像の中に、風を感じる場所や、庭とつながるシーンが出てきたなら。 設計の打ち合わせで、設計士にこう伝えてみてください。 「濡れ縁のような、内と外をつなぐ曖昧な居場所が欲しいです」と。
そう伝えれば、優れた設計者なら、単にウッドデッキをカタログから選ぶのではなく、リビングの配置、窓の大きさ、軒の深さ、庭との関係性をトータルでデザインしてくれるはずです。
プロに相談する価値
濡れ縁は、単純な構造に見えて奥が深い要素です。 敷地の方角、風の通り道(通風)、隣地との関係、法規(建ぺい率への算入有無)、そして予算配分。これらを総合的に判断し、あなただけの「原風景」を描けるのは、経験豊富な設計者だけです。
特に、メンテナンス性を考慮した人工木の選定や、美しい納まり(ディテール)については、プロの知見が不可欠です。安易なDIYも楽しいですが、建物の防水や構造に関わる部分はプロに任せるのが安心です。
家は、完成した時がゴールではありません。住み始めてから、どう育っていくかが重要です。 濡れ縁は、家と庭をつなぎ、家族と自然をつなぎ、そして「現在」と「未来(思い出)」をつなぐ架け橋となります。
あなたの新しい住まいに、豊かな「余白」としての濡れ縁が生まれることを願っています。 まずは、モデルハウスや見学会で、実際に濡れ縁に腰掛けてみてください。お尻から伝わる木の感触、目線の低さ、そこから見える空の広さ。その心地よさが、全ての答えを教えてくれるはずです。
補足:濡れ縁に関するQ&A(完全版)
記事の締めくくりとして、設計の現場でよく聞かれる質問に、より専門的な視点でお答えします。

Q. 濡れ縁とウッドデッキ、どちらが良いですか? A. 用途と敷地によります。 テーブルセットを置いてBBQや食事をしたいなら、奥行き2m以上確保できるウッドデッキが適しています。 一方、腰掛けて涼んだり、庭への通路として使ったり、省スペースで空間の広がりを出したいなら、濡れ縁が圧倒的に有利です。 日本の都市部の住宅事情(庭の奥行きが2〜3m程度)を考えると、無理にウッドデッキを作って庭を埋め尽くすより、濡れ縁+植栽スペースとする方が、空間にメリハリと奥行きが生まれます。
Q. 人工木は夏、熱くなりませんか? A. 天然木より熱くなりやすい傾向があります。 樹脂を含んでいるため、直射日光下では表面温度が上がりやすくなります。しかし、最近の製品は遮熱顔料を練り込み、温度上昇を抑えたもの(LIXILの「デッキDC」など)も登場しています。 また、前述したように「深い軒」や「シェード」で日陰を作ってあげれば、問題なく快適に使用できます。これは素材の問題というより、「日射遮蔽(にっしゃしゃへい)」という設計上の課題です。

Q. 濡れ縁は建ぺい率に含まれますか? A. 基本的には含まれませんが、条件があります。 建築基準法では、以下の条件を満たせば床面積および建築面積(建ぺい率)に含まれないのが一般的です。
- 外気に有効に開放されていること(壁や柱で囲われていない)。
- 先端から1m以内の部分であること。 ただし、軒の出が濡れ縁より深く、かつ柱がある場合など、自治体や特定行政庁によって解釈が異なる場合があります。必ず設計士を通じて確認してください。うまく設計すれば、建ぺい率ギリギリの敷地でも、濡れ縁によって生活空間を拡張することが可能です。
Q. 目隠しはどうすればいいですか? A. 濡れ縁自体を囲う必要はありません。 濡れ縁の周りにフェンスを立てると、檻の中にいるようで圧迫感が出ます。 庭の境界線(道路際や隣地境界)に、板塀や常緑樹の生垣を設けるのが基本です。あるいは、「袖壁(そでかべ)」と言って、建物の壁を少し延長させて視線をカットする手法もあります。視線を遮りつつ、風と光は通す。このバランスが重要です。
Q. 費用はどれくらいかかりますか? A. 既製品か造作か、素材によってピンキリです。
- 既製品(アルミ脚+人工木): 幅1.8m×奥行き60cm程度なら、材料費+施工費で5〜10万円程度。
- 造作(大工工事+ハードウッド): 基礎からしっかり作り、建物に合わせてサイズオーダーする場合、20〜40万円以上かかることもあります。
これを「高い」と見るか、「たった数十万円でリビングが広くなり、毎日リゾート気分が味わえる」と見るか。 私は、坪単価の高い増築(1坪あたり80〜100万円)をするより、濡れ縁を作るほうが遥かにコストパフォーマンスが良く、生活の質(QOL)を上げる投資だと確信しています。
